セレブの集う星が丘学院も、昼休みになれば、他の学校と同じように明るい賑やかさに包まれる。

(あれ‥‥?)

そんな中、視界の端を横切った姿に、私は足を止めた。

(今、廊下を歩いていたのって、宙くん?)
(でもなんだか、妙に元気がなかった気がするけど‥‥)

ほんの一瞬見えた背中は少し丸まっていて、宙くんらしくなかったように思う。
それに彼の向かった先の校舎に、1年生の教室はない。

「‥‥ね、ごめん。私ちょっと用事があったのを思い出しちゃった」

中庭で一緒にお昼を食べたクラスメイトに声をかけると、「では先に教室に戻ってますわ」と上品に返される。
もう一度ごめんねと断り、私は気持ち足を速めて宙くんを追った。


‥‥迷わず映画部の部室にやって来たけれど、ドアノブを回せば、案の定鍵が開いている。

「‥‥‥‥宙くん? いる?」

部室のドアを開けると、ソファに座っていた1人の男の子が驚いてこちらに振り向いた。
「え‥‥@名前@センパイ‥‥?」

同じ映画部に所属する、1つ後輩の篠ノ塚宙(しのづか そら)くん。
ぱっちりと大きな目をさらに丸くして、瞬きを繰り返しながら私を見つめている。

「どうしたんですか、こんな所に‥‥」
「うん、さっき一瞬宙くんの姿が見えたんだけど、なんだか元気がないように思って。どうかしたのかなって」

すると宙くんは、端整な顔にあからさまに不満の色を広げた。
「‥‥学食にいた女子が」
「ん?」
「オレはただ、今日から新しく学食のメニューに加わったスペシャルソルベパフェを食べたかっただけなのに。どこの席に座るの、一緒に食べてもいい、この後はどうするのってしつこいから」
(‥‥‥‥なるほど)

宙くんの言葉を聞いて、私は驚きよりも先に納得をした。

宙くんは‥‥というか、映画部に所属している男性陣はみんなそうなんだけれど、その容姿や個性から、とにかく女の子に人気がある。
学院内の女子はもちろん、校外にもたくさんのファンがいるらしい。
さすがに部室は関係者以外立ち入り禁止だから、女子から逃げるために宙くんはたまに(結構)部室を使っていると、以前に聞いた事があったけど‥‥。

(今日もきっと、同じ理由でここに避難してきたんだろうな)
「ああいう人達って、自分の行動が相手からどう思われるかとか、気にしないのかな。昔、映画部で部員の募集をかけた時も思ったけど」

不機嫌に髪を触る仕草が、可愛いらしいのに、どこか色っぽくもあるのが彼の特徴だった。
そして宙くんは、映画部の中でも甘党の部類に入る。
さらにつけ加えると、上流階級のご子息・ご令嬢が集う星が丘学院の食堂には、当然一流の料理人たちが揃えられていた。
デザート1つとっても、ショコラティエ、コンフィチュリエ等、それぞれの職人が手がけていて、宙くんが言っていたデザートは、アイス職人‥‥グラシエの人が、腕によりをかけて作った渾身の逸品と聞いていた。

「色々大変だね‥‥宙くん」
「‥‥‥‥」
「今度学食に行った時は、落ち着いて食べられるといいね」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」

励ましの言葉をかけると、ソファに座った宙くんがちらりと私を見上げてくる。

「ありがとう、センパイ」
「ううん」
「で、せっかくだから、ありがとうついでに、しばらくオレの話し相手になってくださいよ」

彼の言葉に、今度は私が目を瞬かせた。
ご機嫌斜めだった瞳が、いつの間にか悪戯っぽい眼差しに変わっている。

(こういうところも、宙くんらしいかな)

私はくすっと笑って首を縦に振った。
勧められてソファに座ると、宙くんは頬を緩めておしゃべりを始める。

「そういえばセンパイは学食のパフェ、食べに来てなかったですね」
「そうだね。でも甘い物は好きだし、夏はやっぱり冷たい物がおいしい季節だし、そのうち食べられたらいいな」
「ですよね。やっぱこの季節に冷たいデザートはかかせないですよね」
「ふふ‥‥宙くんは、どんなデザートが好き?」
「オレですか? アイスはもちろんですけど、ジェラートも結構好きかな。去年イタリアのナヴォナ広場近くでおいしいジェラテリアを見つけたんですよ」

‥‥海外のお店がさらっと話題にのぼるのは、やっぱり星が丘だなぁと思いつつも、明るい笑顔が可愛らしい。

「ああでも、ベトナムプリンもおいしいんですよね。もちろん、あんみつとかも結構好きですけど‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥? どうしたの?」

途中まで楽しそうに話していたのに、急に宙くんが黙りこんでしまう。

「なんか、デザートの話してたら、ものすごく甘い物が食べたくなってきた‥‥」
「‥‥そ、それは‥‥」
「はぁぁ‥‥本当なら今頃、学食でパフェを食べてるはずだったのに‥‥@名前@センパイと話せたのは嬉しいけどさー」
「‥‥‥‥」

さりげなく付け加えられた言葉に、心配すればいいのか、照れればいいのか、一瞬判断に迷う。

「あっ‥‥! そうだ!」

だけど、ある事を思い出して私は慌てて手にしていたランチバッグを漁り始めた。

「‥‥? センパイ、どうしたんですか?」
「ちょっと待ってね、確か‥‥‥‥あった! 宙くん、はい、これ」

差し出した私の手のひらを、宙くんが不思議そうに覗き込む。

「‥‥キャンディ、ですか?」
「そう! 夏限定発売のカキ氷味!」

個包装された小さな袋には、カキ氷とペンギンのイラストが書かれていた。

「カキ氷味‥‥」
「駄菓子に近いんだけど、食べたことは‥‥ないよね、きっと」

スーパーやコンビ二で見かける商品だけど、セレブのみんなからすれば、逆に庶民過ぎて珍しいのかもしれない。
宙くんはまじまじとあめ玉を見つめていたけれど‥‥やがて、くすっと笑いをこぼす。

(‥‥あれ? あまりに駄菓子すぎて笑われちゃったかな?)
「ご、ごめんね? さすがに今食べたい甘い物は、こういう物じゃないよね」
「いえ、すみません。ありがとうございます、@名前@センパイ。そのキャンディ、もらってもいいですか?」
「それはもちろんだけど‥‥」
「‥‥‥‥今笑ったのは、キャンディがおかしかったんじゃなくって」
「センパイが、すごーくカワイイから、つい笑っちゃったんです」
「‥‥‥‥!?」

宙くんの指が伸びてきて、私の手からあめ玉の袋を取り上げる‥‥
かと思ったけれど、そのまま手のひらにも触られて、思わず肩が跳ねる。

「センパイのそういう無邪気なとこ、本当いいですよね」
「む、無邪気って‥‥」
(私の方が年上なのに‥‥)

‥‥そう。年上のはずなのに、こういう時の宙くんには、全然敵う気がしなかった。
私より何枚も上手というか、からかわれて、すっかり宙くんのペースにされてしまう。

気恥ずかしくなってきて、つい視線が泳いだ。
宙くんは楽しそうににこにこと笑いながら、袋を破って、あめ玉をぱくっと口に放り込む。

「‥‥センパイ、もうキャンディ持ってないの? 一緒に食べてくださいよ」
「う、うん‥‥」

ねだる言葉は子どもっぽいのに、声の響きにどこか甘さが漂う。
顔が赤くなってるかもと思いながら、私はぎこちない指先であめ玉の袋を破った。