中庭の外灯には、もうとっくに灯りがともされていた。
日が落ちたというのに空気はまだまだ蒸し暑く、ほんの少し動いただけで体温が上がる。
そんな中、私は色んな意味で汗をかきながら、校門に急いでいた。

(当たり前だけど、もう誰もいない‥‥うう‥‥)

部活が終わった時、ほんのちょっとだけ気になる事があったので、調べ物をしてから家に帰ろうと思った。
明日誰かに聞いても良かったけど、そんなに難しい内容じゃないし、スッキリしてから家に帰った方がご飯もおいしいだろうとか、そんな事を考えていた。
でも、それが間違いだった。
資料をめくっていたら、芋づる式に次々と気になる部分が出てきて‥‥結局こんな時間までかかってしまった。

昼間は活気に溢れている学院も、夜は打って変わったように静まり返る。
よく知っているはずの場所なのに、全く違うものに見えてしまうのは、夏の夜のせいだろうか。
なんだか、昼間には起こりえない事が、起こってしまいそうで‥‥。

(例えば、学院の七不思議とか‥‥あああ、1人の時に思い出すと怖すぎる‥‥!)

縮こまるようにして、とにかく急ぎ足で校門を目指す。

「‥‥‥‥‥‥@名前@?」
「─────!!」

背後から名前を呼ばれたのは、その時だった。
驚きのあまり、悲鳴すら上げられずに、私はその場で飛び上がる。
「@名前@、落ち着けって。俺だよ、梓」
「‥‥‥‥あ、あずさ、くん‥‥」

引きつった顔で恐る恐る振り返ると、相変わらず個性的に制服を着崩している男の子‥‥クラスメイトで、部活仲間でもある一条梓(いちじょう あずさ)くんが、すぐそばに立っていた。
一気に緊張が解けて、思わず大きなため息が口からこぼれる。

「こんな時間にこんな場所で‥‥しかもたった1人で、一体何してんの?」
「えっ? そ、それは‥‥」

何となく、調べ物をしていて気がついたらこんな時間でした、とは言いにくい。
私が言葉を濁していると、梓くんがくすっと、どこか色っぽく目を細めた。
「もしかして俺に会うためにわざと遅くまで残ってた?」
「えっ!?」
「@名前@は、俺の“秘密”も知ってるしな?」
「ち、違うよ! 色々調べ物をしてて、気付いたらこんな時間になってたの‥‥!」

からかうような眼差しに、つい頬が赤くなる。
すると梓くんは、さっきまでの表情を一変させて、明るい笑顔を見せてくれた。
「はは‥‥! そんな必死に否定すんなよ。大丈夫。残念だけど、お前にそんな考えが全然無いってのは、ちゃんとわかってるから」
(うう‥‥)

未だに掴み所のない彼だけど、実は可愛いその笑顔を見ていると、同い年の男の子なんだなって実感させられる。
からかわれた事も許しちゃおうかなって気持ちになるから、これが結構くせものだ。

「さて‥‥@名前@はこの後はもうまっすぐ家に帰るよな?」
「‥‥? うん、それはもちろん」
「なら、途中まで俺と一緒に行こうぜ、@名前@」
「えっ?」
「俺も今から学校の外にちょっと野暮用があるんだ」
「野暮用‥‥?」
「そ。男の子のヒミツだから、女の子の@名前@は詮索しちゃダメだぜ」

また私で遊んでいるような口調。
そういう言い方をされると逆に気になっちゃうのに、先手を打たれているから、質問もできない。
もやもやする私を見て、梓くんはまた楽しそうに笑っていた。





それから私と梓くんは並んで歩き出した。
いつも通る道を、いつもはいない彼と歩くのは少し不思議な感じがする。
「それにしてもさ、こんな時間に@名前@が一人でウロウロしてて、よく無事だったよな」

頭の後ろで手を組みながら、梓くんは突然そんな事を言い出した。
見上げた先の彼の耳たぶで、街灯の光を受けた2つのピアスが小さく輝いている。
なんだか星みたいかもと密かに思いながら、私は首をかしげる。

「無事って‥‥?」
「こわーいヤツがさ、襲ってきたりしなくてよかったなって」
「‥‥!? こわいヤツ!?」
「@名前@、いい子で可愛いから。色んなやばいヤツを呼び寄せそう」

私の顔からさあっと血の気が引いていく。

「あ、ああ、あのね、梓くん。知ってるかもしれないけど、私、そういった類の話はとても不得手といいますか‥‥」
「え‥‥? ああ、悪ぃ悪ぃ。そういう意味じゃなかったんだけど‥‥。忘れてた。@名前@はたまに天然だってこと」
「‥‥??」
「ま、大丈夫だよ。一番じゃないかもだけど、それなりにこわーいヤツの隣をすでに@名前@は歩いてるし」
「え‥‥」
「ん?」
「‥‥‥‥それって、こわーいヤツが、梓くんってこと?」
「どうだろな? 少なくとも自分は安全なヤツだって、自信を持ってお前に言うつもりはないけど」
「‥‥‥‥」
「まあ、この話はここまでにしようぜ。それより今日は雲がなくて星が結構綺麗に見えるな」

空気を変えるように、梓くんがわざとらしく空を仰ぐ。
‥‥核心に触れようとすると、かわされてしまうのは、もしかしたら梓くんのクセなのかもしれない。

(いつか、もうちょっと梓くんの事がわかる日がくるのかな‥‥?)

私も梓くんと同じように空を見上げる。

「でも、さすがにアルビレオは見えそうにないな、天の川も見えないし、やっぱ肉眼じゃだめか」
「‥‥アルビレオ?」
「はくちょう座を作る星の1つだよ。二重星で、青とオレンジの綺麗な星なんだけど、肉眼じゃ1つの星にしか見えない」
「へえ‥‥そんな星があるんだ。さすがに詳しいね」
「ま、毎晩プラネタリウム見てるし、これくらいはね。でも望遠鏡で見たら、また違う感動があるだろうな。アルビレオをサファイアとトパーズに例えた童話もあったくらいだし」

梓くんはある事情から、学院のみんなには内緒で、学院の敷地内にある旧天文台で暮らしている。
今夜も家に帰れば、1人プラネタリウムを眺めながら寝るんだろう。

「プラネタリウムの星もいいけど、本物の夜空もやっぱいいよな」
「‥‥うん。確かにどっちも素敵かも」
「それに今夜は、隣に@名前@もいるしな」
「えっ‥‥」

また梓くんの言葉に動揺してしまうと、彼はおかしそうに肩を揺らして笑った。

「でも残念。今日は時間切れだ」
「あ‥‥」
(もう家のすぐ近くだったんだ)
「それじゃ、俺はこの辺で。今夜はもう調べ物とかせずに、早く寝た方がいいぜ。目の下にクマでも作ろうもんなら、映画部の連中がうるさいだろ?」
「う、うん‥‥そうする」

素直にうなずくと、梓くんは頬を緩めて、くるりと回れ右をした。
それが予想外で、私は思わず目を丸くする。

「梓くん、待って! 一体どこに行くの?」
「ん?」
「だって、そっちは学院の方向だし‥‥野暮用は‥‥」
「ああ、野暮用」

軽く首をかしげながら、梓くんは肩に掛けていたバッグから何かを取り出した。
ガサガサと音がして、白い袋が現れる。

「‥‥コンビ二の袋?」
「本当は、用事はもう済んでたんだよね」
「え‥‥」
「今夜のディナー。398円。という事で、俺は帰るから。おやすみ、@名前@」

いびつに傾いたコンビニの袋をぶら下げて、学院に向かって歩き出す梓くん。
その背中を見ながら、私はやっと彼に心配されていたと気付いて、一瞬言葉を失った。
あんな適当にバッグに突っ込んで、お弁当はきっとぐしゃぐしゃになっているはずだ。
学院で私の姿を見つけた瞬間から、そうなるのは覚悟していたんだろうけど。

「あ、梓くん、ありがとう!」

どきどきと心音を速めながら、私は慌てて梓くんの背中に声をかけた。
ちょっとだけ振り返った梓くんの横顔には、優しい笑みが浮かんでいた。